いま東京国立博物館で福沢諭吉展が開かれています。この計画の中心で活躍され今春慶応大学を退任される友人、前田富士男教授がチケットを送ってくれまし た。そこで旧友を誘って上野の表慶館に見に行ってきました。本館正面の、入梅時には白く大きなチュウリップ状の花々をいっぱい付けるユリノキの大木の左正 面にある、大正天皇即位記念に建てられた建物です。
慶応の卒業生らしき集団があちこちにできていましたが、展示物は福澤の塾関係が充実していま す。大分県の中津にある記念館とはこの点が大きく違うようです。幼稚舎で体操教育に力点を置いていたことも、知りました。「身体健康精神活発」の書や、 「まず獣身成りて後、人心養う」という標語にもそれは現れていて、学校体操の起源について考えさせられました。
ほかにまだご覧になっていない人のために、お勧めのものを書いておきましょう。
第1は、『蘭学事始』の杉田玄白自筆写本です。わが国の西洋医学の本格的な導入になり、蘭学興隆の夜明けを告げる『解体新書』上梓にいたるエピソードを満載した、岩波文庫でも薄い一冊の原本、がここにあります。
杉田家保管の原本は安政大地震で消失、幕末の和算家神田孝平が、湯島天神裏の露天商の店先で、これを見つけ、友人の福澤に見せたものです。この原本は、も ともと杉田玄白が手写して大槻磐水に送ったものであることもわかりました。福澤がこの内容に注目して、杉田家に資金援助までして出版を勧め、明治2年 (1869)に出たものです。見本刷りの原題は「和蘭事始」で出る予定が、福澤の手入れによって、和蘭を蘭学に替えて「蘭学事始」になったことも、表紙の 校正から見て取れます。

第2は、陶磁器部門の国宝第1号「秋草文壺」も見られます。名高いものですが、私がお目にかかるのは今度が初め てです。戦争中の日吉キャンパス東方の墓地遺跡から発掘されたもので、昭和28年に指定を受けました。高さ40cmあまりある平安期の優品で、緑かかった 灰釉をかぶり、ススキやコオロギの線刻模様がさわやかです。口縁に少し欠けたところがありますが、有力者の蔵骨器であったようです。

第 3は、慶応出身の実業家で茶人は多いのですが、その人たちの旧蔵品も多く展示されて、圧巻です。大正11年(1922)にアインシュタイがその口切り茶会 に招かれた、高橋義雄(箒庵:そうあん)の茶器に私は注目しましたが、同じく展示されている朝吹英二(柴庵:さいあん)、益田克徳(非黙、鈍翁の弟)など と同じ慶応出身の三井系の茶人です。
電力界の鬼といわれた松永安左エ門(耳庵:じあん)旧蔵で、いま京都の国立博物館にある国宝「釈迦全棺出現 図」一幅の迫力には感動しました。私は、小田原の記念館はもとより、九州の福岡市立美術館に出かけて、郷里壱岐の関係でそこに寄贈された松永コレクション の香合や茶碗や茶入れなどの数々を見に行ったものですが、この国宝の一幅になかなか出会えなかったのです。天から下った生母に、神通力ですでに寂滅したは ずの釈迦が、棺桶を開けて身を起こし、偈(げ)を唱える場面が克明に描かれています。よく見る涅槃図とはひと味違うものです。

展覧会は3月8日までですから、お急ぎを。