京都の妙心寺には、これまで何回出かけたか覚えておりません。花園の地の利もよく、七道伽藍や40あまりの塔頭(たっちゅう、子院)が魅力だからです。 法堂天井を飾る狩野探幽作、八方にらみの雲竜図や、サウナの原型のような浴室などをご覧になった方も多いと思います。ところが、その寺宝となると、これま であまり見る機会がなかったのではないでしょうか。

じつは大学時代からの友人(趣味で金工もやっている)を誘って、上野の都立美術館で 開かれている、モリスから民芸へ、を謳った「アーツ&クラフト展」を見に行ったので、東博はそのあと、常設展を見るつもりで立ち寄ったのです。都美術館で は、アーツ・アンド・クラフツ運動の大きな流れを掴むことはできたのですが、本家の英国関係は、12年前の「モリス展」で見たものが再度お目見えした感じ で、期待はずれでした。家に戻ってから、古いモリス展のカタログを繰って確かめて見ましたら、ビクトリア・アンド・アルバート美術館から今回出品されて目 玉になっていた、タピスリー2点も椅子3点も、まったく前と同じものでした。いささか招致計画がお粗末です。

しかし疲れて重い足を引きずって東博に回り、「妙心寺展」はまだやっているのか、とよくあるお寺さんの展示ぐらいにしか思わず、ついでに見たのですが、その充実ぶりはうれしい誤算でした。ここで見た五山展以上の内容でした。
なるほど、今年は、花園法皇が開山つまり初代住持に迎えた「無相大師」の関山慧玄650年遠諱(おんき、没後650年)に当たるとのことで、臨済宗妙心寺 派が総力あげての記念展「妙心寺」であったのです。禅には大きく2系統、只管打坐(しかんだざ、ひたすら座禅する)の曹洞宗と公案重視の臨済宗があって、 曹洞宗は大きく1つに纏まっていますが、臨済宗は諸派に分かれています。妙心寺派はその臨済宗最大の宗派で、傘下に花園大学などがあります。その展覧会な のです。東京国立博物館平成館で開かれたあと、3月以降は京都国立博物館に巡回するとのことですが、これは私にとって思いもかけない収穫でした。

妙心寺の鐘がありました。流麗な唐草文のある鐘は、徒然草にもその音色が愛でられている国宝です。文武天皇2年(698)のもので、記年銘(戊戌年四月十 三日)をもつ鐘ではわが国最古、といわれるものです。京都で拝観したとき、昭和48年(1973)まで撞いていたという説明でした。それ以上に感激したの は、信長時代、イエズス会建立の南蛮寺にあった銅鐘にお目にかかれたことです。IHSのイエズス会紋入りで、「1577」とこれも陽刻された重文の鐘で す。いまや蛸薬師通りに行っても跡形もない南蛮寺ですが、その唯一の生き証人がこの高さ60センチあまりの鐘なのですから。

もう一つの 見ものは、昭和天皇の「無相」という書です。国立文書館などで昭和天皇の「裕仁」という御署名は拝見していますが、こんな力強い禅僧顔負けの揮毫にはお初 にお目にかかりました。二二六事件の時、「わが重臣を殺して」と天皇が激怒して、そのため青年将校たちの運命が一転、逆賊になってしまうのですが、そのと きに見せたであろう激しい気迫が、この20数年後の筆勢からもうかがえます。50年前、御歳58歳の書で、無相大師600年遠諱に下賜されたものだそうで す。大師号というのは朝廷が高僧に与えるもので、第一号は最澄の伝教大師で、妙心寺の開山慧玄の大師号「無相大師」が23人目だそうです。これは明治天皇 宣下により、臨済宗始まって以来のものです。

あとは、高さ2㍍を超す白隠和尚の大達磨像のド迫力と、浅井家重臣の子で桃山時代の画人になった海北友松作襖絵3点の鬱屈した鮮烈さ、に打たれました。今回の出展総数は220点ですから、ゆっくり見たら、2時間では足りないぐらいあります。お急ぎを。

金子務記