以下の文は科学史学会の編集部に頼まれてつづったものだが、興味のあるものも多いと思うので公開しておく。 金子務 (大阪府立大学名誉教授)

Jed Z.Buchwald & Mordechai Feingold

Newton and The Origin of Civilization

Princeton University Press, 2013

 ニュートンの神学研究は、錬金術研究とともに長い間正統的な科学史研究からは闇の部分に押し込められてきた。本書は、ニュートンの古代年代学研究を中心に禁断の神学研究を洗い直した大著である。本文「錯綜する感覚」以下「証拠と歴史」までの13章に序文と補遺5編、索引までを併せると全530頁に上る。著者のブーフヴァルトはニュートン学者のコーエン教授と共編のNewton’s Natural Philosophy , 2001や共著The Zodiac of Paris, 2010 を出している科学史家で、17世紀の測定法やホイヘンス、デカルトなどの論文でも知られる。同じくフェインゴールドはニュートンやその前後17世紀科学の研究を積み上げている。
 1936年のサザビーズ売り立て会で、ポーツマス伯爵家所有の二種のニュートン秘密文書が落札されて世の注目を浴びることになった。イギリスの有名な経済学者、ケインズが購入したケインズ文書(錬金術関係)と東洋学者のヤフーダ(Abraham Shalom Yahuda)が入手したヤフーダ文書(神学関係)である。ケインズ文書はやがてケンブリッジ大学に寄贈され、アメリカの歴史学者ドッブズの大著『ニュートンの錬金術』などを生んだ。神学研究のヤフーダ文書はヘブライ大学に寄贈されたものの、一部の研究者以外には闇に包まれていた。この文書の一部が、もう7年前の2007年夏、エルサレムの新市街地の丘にある国立文書館兼ヘブライ大学図書館の一角で初公開され、私もそのとき拝観した。ニュートン自筆の家系図からソロモンの神殿考を含むラテン語と英語の文書58点であったが、赤茶けた紙片にペンとインクで、いかにも神経質そうな細かな字で綴られていた。多年にわたる神学研究の抜粋の束には、イエスの再臨と反キリストの敗北を示すハルマゲドンの出現を示す、いわゆる「2060年文書」も含まれていた。
 ニュートン展担当の女性研究者が、パネルを示しながら、ニュートン文書が「古代と現代、科学と宗教、合理と非合理という二分法の再検討を迫る」と語っていたが、同時にニュートン像の書き換えもまた始まるだろうと、私も思っていた。本書は出るべくして出てきた書であり、今後の研究の基準書になるだろう。
 本書第4章でも「2060年文書」を扱っているが、当時の予測では終末は17世紀末とされていたが、ニュートン一人、21世紀までは来ない、と計算した。これは、ハルマゲドンが「背教の始まりの日」から「一期と数期と半期」後に来る、という『旧約聖書』のダニエル書や『新約聖書』のヨハネ黙示録にもとづく。その予言の期間は、年代同定原理によって「1年2年と半年」と見立て、計3年半、つまり1260日。さらに神の1日は人間界の1年に当たるとされ、1260年となる。問題は「背教の始まりの日」がいつかであるが、大方は、テオドシウス治世の西暦400年頃とし、それから1260年を経て終末は、17世紀中頃か末と見ていた。しかしニュートンは神学研究を重ねて、最大の背信行為は西暦800年のクリスマス当日、教皇レオ三世がフランク王カール一世にローマ皇帝の冠を授け、ローマ教会の皇帝とした時、として算出した。カール一世はカロリング・ルネッサンスの花を開いた大帝である。こうして800+1260=2060、西暦紀元2060年が得られる。
 ニュートンは「力学的世界の最奥の神秘」を掴み取ろうとしたのだが、「歴史・神学・科学といったニュートン的三位一体と結びつく人間知識の性格を極める」ことで成し遂げられると考えていたようだ。だからこそ、本書が示すように、古代予言書、教会史、錬金術の今日ならオカルト科学といわれる領域に真剣に取り組んだのである。本書で異彩を放つ点の一つは、その動機に、ニュートンが感覚主義に懐疑的な態度をとっていた点を指摘する。大方の科学者は、測定結果から一つ選んで他を捨てるのが普通だったが、ニュートンは「多くの悪いデータの集積からよい数値が得られる」、とした。たとえばニュートン・リングの解析例では、実験につきまとう測定誤差の平均を採った。だからこそ神学研究でも、悪いデータの集積であっても先行研究を営々と記録していったのだ、という。
 結局のところ、ニュートン自身は、天地創造の真実性、ノアの大洪水の普遍性、人類の共通起源などについて自身の立場を明確にしていない(ただし『光学』疑問31で、天地創造はカオスからは生じない、とした)。今日、ニュートンが挑んだ古代年大学も、考古学・貨幣学・金石学・比較宗教学・人類学などの登場で、その姿は小さくなり、歴史学の一部門になっている。
 ニュートン自身は、文書「キリスト教神学の哲学的起源」で、イエスを神とする三位一体論を「迷信」とし、偶像崇拝に陥ったローマ・カトリック体制を「背教」と非難している。ニュートン自身は、イエスを神でなく、絶対的な神と人間との聖なる仲介者とみなすアリウス派(4世紀の異端派)であった。しかし1675年には、聖職特免のフェロー職であるルーカス教授職に任命されて、三位一体の牙城であるトリニティ・カレッジで異端信仰を生涯、隠し続けた。
 2008年以来宗教関係文書をデジタル化する「ニュートン・プロジェクト」がサセックス大学イリッフ教授(Rob Iliffe)のもとで展開し、多くが公開されている。