書評 ライプニッツ著作集第Ⅱ期酒井潔・佐々木能章監修、1『哲学書簡ー知の綺羅星たちとの交歓』 工作舎刊

 

金子務 科学史家

一七、一八世紀を通じて、ライプニッツほど往復書簡を書き続けた知識人はおるまい。文通相手は一六カ国、一六〇都市の一三〇〇人、哲学書簡一〇〇〇通など計二万通に及ぶ。評者(金子)が分析した世界初の学会・ロンドン王立協会事務総長オルデンバーグの通信空間でさえ、その数は遠く及ばない。本哲学書簡集は、その学問形成に重要な役割を演じた九人、五二通を訳出、監修者や訳者による懇切な解説を配して、読みで十分である。

まず冒頭の、ライプツィヒ大学時代の信頼する師トマジウスとの書簡(四通、送3受1、一六六〇年代の足かけ六年間)からは、二〇代前半の野心家を突き動かす濃密な反デカルト主義と親アリストテレス主義が浮かぶ。とりわけ研究計画を語る第四書簡が重要だ。

ライプニッツに言わせれば、スコラ哲学から脱却しようとした改革派には、アリストテレスを排斥した「愚かな哲学」(パラケルスス、ヘルモント)、古きも新しきも疑い捨てた「大胆な哲学」(デカルト)、アリストテレスとの調和を計る「真の哲学」と三つあるが、もちろんライプニッツは「真の哲学」を目指す。その上で、聖書・理性・経験によって証明される全キリスト教的真理を示すことだ、と述べている。後のハノーファー選帝侯妃ゾフィー宛て一七〇五年書簡には、モナド論によって「真の哲学を樹立した」と自負している。真の単一体モナドは非物質的、不可分不滅な魂であり、一即多を表現する実体だ。「神はその魂の建築家」、デカルト・ニュートンの「神は無為」とする原子論者の原子(=微少な硬い粒)とは大違いだ。波即粒子の現代素粒子論世界は、モナド論の系譜にあるかも。

第一部「学者の共和国」では、トマジウスに続いて、ホッブズ(二通、送のみ、一六七〇年代前期の五年間)、スピノザ(三通、送1受2+資料2、一六七〇年代の八年間)、初期アルノー(一通、送のみ、一六七一年)、マルブランシュ(一七通、送11、受6、資料2、一六七〇年代から一八一〇年代の三七年間)、ベール(一〇通、送8、受2、資料1、一六八〇年代から一七〇〇年代にかけての一六年間)、が並ぶ。無名のライプニッツがホッブス、スピノザという大家を踏み台として脱皮し、デカルト主義の論敵マルブランシュ、ベールに持論をぶつけるさまは迫力十分。後半の第二部「サロン文化圏」でのお相手は、みな高貴な知的女性。だからといって甘い話などない。選帝侯妃ゾフィー(五通、送のみ、一六九〇年代から一七〇〇年代初頭の一〇年間)、プロイセン王妃ゾフィー・シャルロッテ(三通、送のみ、一七〇〇年代初頭の三年間)、晩年のロックが寄宿した英国のマサム夫人(五通、送3、受2、一七〇〇年代初頭の二年間)である。半素人に自説を説き吟味し直しているから、ライプニッツ学入門にもなる。こちらを先に読んでもよい。

「哲学者にして数学者」という自負が、ライプニッツに数学的例解を好ませた。アルノー宛て正義論で、「助けることは掛け算、害することは割り算」もその一例だ。ゾフィー候妃に、デカルト説を批判して、「実体たるモナドである魂は多を表現する身体と合一する」、と説明するさい、二直線で中心Aを挟む扇形図形を示した。二直線の広がる傾き角(多である延長的性質)を広がらない中心点A (一である実体的モナド)が表現する、と。神の建築術は「原理は単純、表現は多様」、ライプニッツが重視する原理は「斉一性の原理」(いつでもどこでも同じ)と「充足理由律」(存在するには十分な理由がある)だ。魂の本性や神の存在を破壊する物質主義者には手厳しい。魂は死なず、今生の記憶も保存、想起される。王妃シャルロッテ への手紙で、ユングの集合的無意識を先取りしている。

真理の必然性は、感官や経験によって示すことは出来ない。この自説を、イギリス経験論の祖ロックと戦わせたかった。自説を敲き固めるのに、論敵の力を活用する。この生涯にわたる戦略と願いは、晩年のロック庇護者マサム夫人との文通となった。

デカルトーニュートンの運動量学説とホイヘンスーライプニッツの活力学説との熾烈な活力論争は、本書でもベールとの往復書簡に記録されている。しかもその第二書簡を見ると、結果と原因の充足理由律が活力説の説明になっているのが面白い。ただしこの論争は、ダランベールの調停(一七四三年)によって、視点の違い、力の作用時間か、作用距離(仕事量)かの違いで両論並立となった。このことは注記に欲しい。

この書簡集は、編集者十川氏の執念と入念な作業(巻末の人物・事項索引にも明らか)に支えられ、ライプニッツ学会関係者の熱意と能力によって実現した。日本語で、これだけ高度な思想的格闘を読めることに感謝したい。私たちは、本書によって、一七世紀科学革命期の知の巨人が日常的に格闘する思索と対話の現場に立つことになるのだから。『週刊読書人』2015年8月7日号所載。