2008年5月3日 世界遺産に古都鎌倉を、という運動が現市長を始め関係者の間で盛り上がっているのですが、反対論者にはいまさら何で世界遺産なんだ、という向きもあって、市民の考えも一枚岩ではなさそうです。

   私は基本的に世界遺産登録に賛成する側です。鎌倉に住んでもう40年近くなりますが、この町に集積している文化の重なりの重さを思えば、当然だという気持ちになります。デジカメをポケットに入れて、私は、気の合う友人たちと、時には一人で、鎌倉市中はもとより、藤沢や江ノ島、逗子あたりまでよく歩き回っていますが、その都度、何らかの文化史跡の発見があるものです。それだけ鎌倉の文化は奥深いのです。世界遺産登録に伴う規制が増えると、観光活動や市民生活に差し障りがあるなどという意見もあるようですが、文化遺産を守り、後代に伝えるという、私たちに課せられた責務を思えば、多少の不便さが生じたとしても、我慢し協力すべきだと思います。

   といっても、いまの世界遺産登録運動に危惧の念がないわけではありません。昨秋、私の友人で京都の国際日本文化研究センターの客員研究員になっていた王維坤西安大学教授をお招きして、東京で講演をお願いし、友人の高木規矩郎氏らと相談して、その晩、鎌倉に一泊していただきました。王さんは、未知の遣唐使群の一人、「井真成」の墓碑の発見紹介で名を挙げた少壮研究者で、中国の世界遺産関係の委員もされている方です。翌日、忙しい中を市長にもお会いし、世界遺産の担当責任者からの説明を受け、主だった名所も見ていただきました。

   大いに理解を得て、登録推進に協力したいともいってくれたのですが、ただ一点、だめ押しされたことがあったのです。キャッチフレーズになっている文言で、「武家の町」というくくり方でした。中国始めアジアの人々には、この文言がどうやら「軍都・鎌倉」と映るようなのです。古代日本文化にも明るい王さんの目にも、そう映るようなのです。武家という概念は鎌倉時代に成立した歴史的概念であって、明治以降の軍事大国・日本の軍隊とは無関係、といってもいいわけがましく聞こえるようです。

   そこで、世界遺産登録推進派の方々は、「武家」ということの意味をよく考え、再考されるべきだと思います。王さんのご意見は、市長以下関係者も直接お聞きになったはずなのですが、聞き流されてはまずいと思い、再度、問題提起しておきます。金子務記