公明新聞書評   金子務(科学史家)

ロビン・ダンバー著
人類進化の謎を解き明かす
インターシフト 2016年6月刊 2300円(税別)

本書はよくある「石と骨」の化石人類発見史ではない。600万年前にチンパンジーと別れてヒト族(ホミニン;現生人類につながる系統)が出現して以来、多くの種が、なぜその生息地で栄え消滅したのか、という集団形成のダイナミズムを正面から扱っているのが新鮮である。
社会的経済的コストに着目した、その二刀流のアプローチ「時間収支モデル」と「社会脳仮説」も目を惹く。すなわち、ヒト族が生き抜くための時間配分(摂食・移動・休息・仲間との関係作りなど)をさすのが「時間収支モデル」で、ヒトらしくなるための脳容量の増大(クロマニヨンといった化石新人類の脳はチンパンジーや猿人の脳の三倍になる)が社会規模を決める(一五人程度の家族単位から一五〇人ほどの部落単位に、さらに部落連合の五〇〇人規模へと拡大)というのが「社会脳仮説」である。注目すべきは、道具や火の使用でなく、二〇〇万年前から三段階にわたる脳進化(とりわけ前頭前野の)によって拡大してきた、認知機能を重視する姿勢である。霊長類で毛繕いなど社交的時間に1日の生活時間の20%以上を割くのは、ヒト族のみだそうだ。それが「心」を解放して、他者の気持ちを思い・理解し・笑うという高度な心の機能を産み、ヒト文化特有な宗教と物語(言語)を紡いてきたというのである。
こうした脳の増大と心の多層化が社会組織の拡大と再編を生むというのだ。一〇万年前には、衣服の出現(なんとアタマジラミから衣服に付くヒトジラミの出現で、衣服出現の時期がわかる)や結核菌(脳に不可欠なニコチン酸;ビタミンB3を生む効用をもつ)との共生が脳を急激に増大させた一因らしい。
中心の話は五期にわたる。三〇〇年前の猿人アウストラロピテクス類、一八〇万年前の原人(ホモ・ハビリスら)、五〇万年前の旧人(ネアンデルタアールら)、二〇万年前の新人(ホモ・サピエンス)の各出現、および一万二〇〇〇年から八〇〇〇年前に起こった新石器革命である。「ダンパー数」(友人数は一五〇人が限界という限界数)で話題を呼んだ本著者ダンパー探偵のお手並みは、説得力があり鮮やかだ。先の両仮説を「精密工具」として、これまで積み上げられた人類学のデータを分解・再組み立てするという、リバース・エンジニアリング法がお得意らしい。ただしこの著者の主張を納得するには、読み手にもある程度の辛抱強さが必要だろう。訳はよくこなれているし、原注も適宜付いている。(鍛原多恵子訳)(『公明新聞』2016年8月8日付け掲載)