佐藤恵子著

『ヘッケルと進化の夢―一元論、エコロジー、系統図』工作舎刊 金子務(科学思想史)

 

ヘッケルといえば、今日ますます重要な一九世紀ドイツの生命思想家である。エコロギー(ドイツ語)や「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーゼ「生物発生原則」を提示した。当時熱く歓迎された啓蒙書『生命の不可思議』『宇宙の謎』を思い出す人も多いだろう。ダーヴィンの『種の起源』が出るや激しい賛否両論があったが、ヘッケルは、「ダーヴィンのブルドッグ」ハクスリーとともに擁護し、進化論を生命学の全分野の背骨にしようとした。

この半月ばかり、車中や音楽会場の合間で、もちろん自宅の椅子でメモをとりながら、待望久しい佐藤さんの大著に遊ばせてもらった。読み終わって爽やかな気分である。この著作はもちろん小説ではない。単なる解説書でも伝記でもない。現在流行の関心から遡及する記述を排して、地道に、厖大な原著作と背景を読み解きながら、ヘッケル思想の径庭をみごとに描いた学術的労作なのである。われわれは初めて、ヘッケルの全貌を知るに足る重厚な書を手にしたという意味で、この出版は快挙である。

著者は、難解なヘッケル思想特有な新出用語について細かな配慮を見せつつ、章立てにも工夫を凝らしている。まず「まえがき」の後、全体を二部に分ける。第一部は、ヘッケルの生涯および一九世紀ドイツの思想的背景を説明する導入部の章と、ヘッケル固有の一元論とそれにもとづく主著『有機体の一般形態学』(一八六七年刊)の詳細な解題・資料編の章との二本立て。これでほぼ全体の三割を占める。第二部は文化・社会への影響を扱い、九つの章立てで解明する。すなわち、生物発生原則の魅惑、進化におけるミッシングリンクの謎、フィルヒョウとの進化論論争と科学の自由、一元論者同盟と教会離脱問題、人種主義と優性思想、エコロジーの誕生、プランクトン生態論争、自然の芸術形態、結晶のゼーレ(魂)の九章である。

二〇年にわたりテクスト解読に徹しただけあって、佐藤さんの四〇〇頁を超す歴史記述からいろいろ教えられた。いくつかの注目点を記しておこう。

エコロギーはコロロギー(生物分布学)とともにヘッケルの造語(一八六六年。ただしビオトープやエコシステムは無関係)で、「生物とそれを囲む外界との関係を扱う総合的学問」と定義している。しかしその著書には、放散虫やクダクラゲ等の美麗な形態学の図版と分類学しかない。ただ「海洋無脊椎動物の生態」について考えていた証拠が、プランクトン論争に見られる。

のちに政治的信条の同盟運動に発展する「ヘッケル一元論」は、神即自然のスピノザ汎神論と進化論からなる。生物の形態発生の原因と法則を知るにもダーウィン進化論が不可欠、と「一元論的進化論」を主張した。進化論の空白を繋ぐミッシングリンクに、ヘッケルは各種の祖先生物を仮想した。原生動物の祖ガストレア、原形質だけの生物の祖モネラ、類人猿とヒトを繋ぐピテカントロプスである。最後の化石がジャワ島で見つかるのはヘッケルの予言の二七年後、しかし猿人でなくヒトに近い原人だった。モネラは原核生物の別名として生きてはいる。が、メンデル遺伝学以前で、こういう仮説に仮説を重ねる楽観論が細胞学説の大家フィルヒョウの批判を招いたという。

個体の胚発生が進化の道筋(系統発生)を反復して辿る、という「生物発生原則」は一八七二年に初出する。生物の基本構造が入れ子になっていることになるが、ラマルクの獲得形質が遺伝しないことが明白になった今日でも、ホットな話題として「反復説」の試みが絶えず復活している話が面白い。

一元論の神を宇宙の自然法則と見なしたヘッケルは、物質・エネルギー・感覚を三位一体的実体と考え、運動と感覚を司る生命原理をゼーレ(魂)として、宗教と科学を結ぼうとしたが、「すべての検証は未完に終わった」等。

佐藤さんの懇切な説明に乗せられて、結晶の魂とか自然の一元論的美など、ヘッケルとともに「進化の夢」を私自身も見させてもらった。(『週刊読書人』2015年10月30日付け掲載)