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金子務が語る「アインシュタインが奏でた音楽」(構成=「the寂聴」編集部)
モーツァルトに恋をして

――アインシュタインはいつからヴァイオリンを弾きはじめたのですか?

金子 子供の頃からヴァイオリンやピアノを習っているんです。母親のパウリーネがとても音楽好きで、実に見事にピアノを弾く人だったから、その影響で5歳の時から音楽教育を受けるようになった。ピアノはおそらく母親に教わり、ヴァイオリンは音楽の教師を雇って教わっていた。だけど、子供の頃のアインシュタインは、ひどいかんしゃく持ち。練習が気に入らないと、発作を起こすみたいに怒り心頭に発して、椅子をつかんでヴァイオリンの教師に殴り掛かったこともあったそうです。非常に短気だった。この時期のことは、妹のマヤが書き残しています。
 後にアインシュタイン自身も、友人に宛てた手紙の中で、「教師たちには恵まれなかった」と書いています。「彼らにとって、音楽は手仕事的なこと以上のものではなかった」と。だから練習も嫌々だったようです。ところが、13歳の時に運命的な出会いがあった。モーツァルトのソナタに夢中になるんです。「その芸術的な内容と比類なき優雅さをいくらかでも再現しようとする努力によって、私の技術はいやがうえにも改善された」と書いています。いかにもアインシュタインらしいんですが、系統立てた練習ではなく、モーツァルトのソナタに夢中になることによって、ヴァイオリンの技術を身につけていったようです。

大道芸人アインシュタイン

――形式的な練習が嫌いだった。

金子 もともと性格的に、規則的に教え込まされるというのを実に嫌がるんです。チューリッヒ工科大学に入って物理を勉強していく過程でもそうだった。自分で勉強するのは好きだけれど、強制されるのは絶対に嫌。だから、講義もろくに聞かない。物理実験なんかもさぼって落第点を貰ってしまう。成績は下の方。
 そんな調子だから、教授に嫌われていて、大学を卒業しても就職口を紹介してもらえない。同級生は研究室の助手として採用されていく中、アインシュタインはほっぽり出された。それで、食べるために仕方なく、2年間ぐらい臨時雇いの代理教員や家庭教師をやって暮らしていた。今で言うフリーターのようなものです。
 しばらくして、幸いに、友人の紹介でベルンの特許局の三級技官の見習いという仕事にありつけるんだけれど、丁度それが決まるか決まらないかという頃、「このままでは生活できないから、いっそ大道芸人になって、ヴァイオリンを弾いて稼ごうかと思っている」とこぼしていたそうです。半ば冗談半ば本気で。かなり思いつめていたんでしょう。でもそれは、大道芸人をやれるぐらいヴァイオリンが達者に弾けたということです。結局はやらないで済みましたけれど。

家庭での演奏会


――では、子供の頃に始めたヴァイオリンは、ずっと続けていた。

金子 そうです。ヴァイオリンやピアノは、アインシュタインの生活になくてはならないものだったから、その後も人生のいろいろな場面に出てきます。
就職した後、アインシュタインは大学の同級生だったミレーヴァという女性と結婚します。ミレーヴァはピアノが弾けた。だから、かつて母親にピアノで伴奏してもらったように、ミレーバに伴奏してもらってアインシュタインがヴァイオリンを弾く、ということもあったでしょう。
 その後、アインシュタインは特許局に勤めながら物理の研究を続け、26歳の時、「特殊相対性理論」など優れた論文を次々と発表します。俗に言う「奇跡の年」です。その功績が認められ、大学教授の職を得られるようになる。
 チューリッヒ工科大学に勤めていた頃は、フルヴィッツという同僚の数学者と、よくホームコンサートを開いていたようです。夫人のリースベットと一緒にヘンデルの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏したり。妻のミレーヴァはシューマンが好きだったから、ミレーヴァのためにシューマンを練習したり。
ミレーヴァとは、ベルリン大学に招聘された後に不仲になり、別居します。その頃またフルヴィッツ家で演奏会があって、シューマンの五重奏やモーツァルトの四重奏を演奏した。その晩ミレーヴァは1人ポツンと座っていて、何も話さなかったそうです。後に2人が離婚する、その予兆がすでにあったのでしょう。そういう人生の変わり目にも音楽が絡んでいる。

クロイツェルソナタに喝采

――1922年、アインシュタインは来日して、40日ぐらいかけて全国を講演してまわった 。その時も、各地で演奏を披露したそうですね。

金子 すでに、来る時に乗っていた日本郵船の北野丸の中でも演奏しています。疲れてホテルに帰ってからも、よく演奏していた。有名な奈良ホテルでアインシュタインがピアノを弾いている写真が残っています。
 でも、なんといっても在日中1番の晴れ舞台は、12月1日の夜、東大での特別講義が終った後、帝国ホテルで開かれた改造社主催の大歓迎晩餐会。とにかくそうそうたる連中が集まった。長岡半太郎、寺田寅彦、田丸卓郎、石原純、井上哲次郎、有島武郎、小泉信三など各界の名士が120人ぐらい。そこで一同から所望されてヴァイオリンを弾くんです。曲はベートーヴェンの『クロイツェルソナタ』。東京音楽学校の教授デニス・イックルス夫人のピアノ伴奏で見事に弾きこなして、拍手喝采を浴びた。この時の写真は、当時の新聞などにも掲載されました。

あの写真の秘密


――そういう時に、頼まれて弾くことを厭わなかったというのも面白い。

金子 非常にサービス精神がある人です。例えば、サスという写真家が撮った、あの有名な舌を出している写真があるでしょう。あれは、カメラマンたちに追い回されていて、やっと車に乗って立ち去ろうという時、「もう1枚」と声をかけられて、「あかんべえ」をした時の写真なんです。普通なら手で顔を隠したりするところ、アインシュタインは舌を出した。「もう、やだよ」って。それが世紀の写真になった。だから、サービス精神があるというか、お茶目というか。遊び心があるんです。

チャップリンと共演


――アインシュタインは、日本に限らず、どこへ行くにもヴァイオリンを手放さなかった。

金子
 ええ、常に持っていた。そういうエピソードはいくらでもあります。
 アメリカを訪問した時には、あのチャップリンの家へ招かれて行っているんですが、その時も、なんとチャップリンと一緒に演奏をしている。チャップリンの自伝の中にそのエピソードが出てきます。でも、チャップリンはアインシュタインの腕前をあまり評価していなかったようです。喜劇王チャップリンから見たら当然でしょうね。チェロやヴァイオリンを弾きこなし、作曲もするという人ですから。
 ナチスから逃れてアメリカへ亡命して、プリンストン高等研究所に席を置くようになってからも、そこで音楽仲間を見つけて、よく演奏会を開いていた。とにかく、アインシュタインにとって音楽は、常になくてはならないものだった。

作曲家の好き嫌い

――アインシュタインは特にモーツァルトが好きだった。他の作曲家についてはどうだったんでしょうか。

金子 音楽についてのアンケートに答えた文章が残っていて、これが参考になります。最も好きだったのは、バッハやモーツァルトなどの18世紀の作曲家。シューベルトもかなり評価している。ベートーヴェンは、尊敬はしていたけれど、それほど好きではなかった。嫌いだったのはブラームスやワーグナー。構成的で重々しいものはあまり好きではなかったようです。反対に、優しい、メロディックな曲が好きだった。同時代の作曲家では、エルンスト・ブロッホをとても尊敬していた。

天体の奏でる音楽

――それほど好きだった音楽と、本職の物理学の研究との関係はどうだったのでしょうか。

金子 ある手紙でこう書いています。「音楽は研究活動に影響しませんが、どちらも憧れという同じ泉に養われており、それらはその提供する慰めの点で、たがいに補完しあっています」と。アインシュタインにとって、二つは相反するものではなく、相補的なものだったんです。

――アインシュタイン以外にも、ピアノが上手かったハイゼンベルクや、ヴァイオリン好きだった寺田寅彦など、なぜか物理学者には音楽好きが多い。

金子  物理学者というか、科学者と音楽との深い関係というのは、ギリシャ時代以来のヨーロッパの伝統です。12世紀ぐらいに大学ができ始めた時、三学四教というものがあった。三学というのは、文法、論理、弁証法。四教というのは、算数、幾何、天文学、それから音楽。これが基礎教養科目だった。
 特に天文学と音楽とは非常に関係が深く、宇宙の調和=音の調和というのが、古代のピタゴラス学派以来の考え方でした。例えば、17世紀の天文学者ケプラーは、宇宙の秩序と音階の関係を分析している。惑星たちの軌道がいかに調和関係を保っているかということを、長三度や短六度といった音階の和声関係との対比から調べていく。惑星たちは、隠されたある和音を奏でながら太陽の周りをまわっていると考えたわけ。実際は音を出して回っているはずがないんだけど、当時の考え方では、宇宙は神が創ったものだから、神の耳には聞こえる天体の音楽があるはずだと考えた。
 このケプラーに限らず、古代からのヨーロッパの知的伝統の中では、音楽と科学は非常に密接な関係をもって語られてきたし、そう理解されてきた。だから、アインシュタインをはじめ、物理学者が音楽に関心があるというのは、全く故無きことではないんです。量子論の創始者マックス・プランクだって、ピアノの名手だった。そういう科学者や数学者はいくらでもいるんです。

(終)
『the寂聴』第8号(2010年1月15日発行)118−121頁
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