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ノーベル賞の日本ブームから考える
 今年度ノーベル科学賞関係で、日本人受賞者がいっきに4人も生まれた。暗い世相をいっぺんに明るくする大ニュースで、日本の科学研究の層が厚くなったといえる。物理学賞はこれで7人、化学賞は5人になった。医学生理学賞は1人だが、いずれ増えるだろう。

 しかし手放しで喜んでもいられない。受賞者はみな35年以上前の仕事で、60以上の高齢者。過去の遺産の栄光ともいえる。物理学賞の南部陽一郎さんはシカゴ大退職16年になる87歳、02年度の、ステッキ姿の好々爺ぶりで目立った小柴昌俊さん76歳を12年も上回る。「ナンブは正しかったが早すぎた」とノーベル財団が04年度の発表で異例のコメントをしたものだが、1部門3人枠という、ノーベル賞のしきたりに泣かされてきた。ほかの医学生理学賞の下村脩さん80、物理学賞同時受賞の小林誠さん64、益川敏英さん68である。

 わが国のノーベル科学賞に絞って受賞年齢を敬称抜きでいえば、物理の湯川秀樹42、朝永振一郎59、江崎玲於奈48、医学生理学の利根川進48、と80年代までは化学の福井謙一63を例外として青壮年層がつづいたが、空白の90年代を終えて21世紀に入ると、化学の白川英樹64、野依良治63と遅くなり、02年度の物理の小柴76はその民間在籍で化学の田中耕一43のフレッシュさと、印象的なダブル受賞となった。ノーベル賞は20世紀初頭に始まったが、はじめの72年間の平均受賞年齢は51歳前後、受賞研究と賞までの期間も14年ほどだったのだから、高齢化と受賞期間延長は際だった。

 物理部門の3人枠を独占した3人の受賞は、日本の素粒子論グループの力量を内外に見せつけた。素粒子論グループは湯川・朝永・坂田(昌一)のトリオを中心に基礎理論物理研究の同志的結束力を誇った集団。とりわけこれを実質支えてきた坂田一門から、小林・益川のお二人に光が当たったのは大きい。「対称性の破れ」という南部理論は宇宙誕生のインフレーション理論を準備し、物質の起源を説明するのに成功した。小林・益川理論は、最小粒子クォークが6種あることを予言して、今日の標準理論確立に貢献した。もう一つの南部予言のヒッグス粒子(質量を与える未知粒子)を見つけようと、いま世界の加速器研究者が競争している。これが実現すれば、宇宙にある4種の力、電磁気力、弱い力、強い力、重力の統一理論構築という、アインシュタインの夢実現に向かえるだろう。

 下川さん受賞の意義も大きい。旧制の長崎薬専という旧制国立大学でない専門学校出身者が化学の最高賞を受賞した。名古屋大学に内地留学して博士号を取得、アメリカで開花する。このことは、田中さん受賞で民間研究者を勇気づけたように、戦後新設の地方国立大学や私立大学研究者にもよい刺激を与えるだろう。さらにプロジェクト研究(課題と総研究開発費を定め、期限を切って、グループで解決を図る手法)全盛の研究体制への警鐘となろう。下川さんはプリンストン時代、家族やボランテアに助けられて85万匹ものオワンクラゲを海面から集め、その発光物質や蛍光タンパク質を解明して、細胞タンパク質を目視化する有用な研究道具になった。目先の成果主義でない個人研究の賜物である。
2008年10月19日 「ノーベル賞の日本ブームから考える」『公明新聞』文化欄
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