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『近代科学の源流』の意義
 科学技術文明の性格を考えようとして、私自身も、ギリシア、スペイン、イタリア、エジプト、イスラエルなど、地中海世界の探索を繰り返してきたが、伊東俊太郎氏の名著『近代科学の源流』は、つねにもっとも信頼の置ける指針書であった。その視野の広さと文献的知識の確かさ、明晰かつ流麗な筆致が魅力なのである。

 ギリシア北部のテッサロニキやトルコのイスタンブール(旧コンスタンチノープル)といったビザンツ時代の遺跡を見たあと、本書の、例えばこういう記述に出会って、感嘆したのを思い出す。9世紀テッサロニキの大司教レオンの文化改革、ビザンツ・ルネサンス運動に触れて、「[それによって]ギリシア科学書の写本の組織的な蒐集と整理が行われた。そしてユークリッド、アルキメデス、アポロニオス、プトレマイオス、ヘロンの書物が保存され、それがのちにシチリアのノルマン王朝に伝えられ、さらにその後継者のホーエンシュウタウフェン家[中世ドイツの王家]により南イタリアにもたらされて、今日、ヴァチカン図書館に蒐集されているのである」。

 私はこの短い記述から、テッサロニキとパレルモ(シチリア)とローマの繋がりを教えられた。そのパレルモで、ギリシア語とラテン語とアラビア語が公用語として飛び交っていたという、ゲーテも訪れたノルマン王朝の宮殿に立ったときである。私は、ギョーム一世に仕えた高官エウゲニオスらが、12世紀に、哲学や科学の重要な書物の、大翻訳事業を展開していた往時に想いを馳せていた。そして、伊東氏が博士論文にした、あのユークリッドのラテン語訳写本『ダータ』研究も、この大翻訳運動なくしてあり得なかったろう、と氏の笑顔とともに思い出したものだ。

 こういう話はいくらでも拾えるだろう。本書はけっして旅行記ではないが、確かな歴史眼をもって、地中海世界の知の流れを見事に記述しているからである。

 本書誕生のいきさつは伊東氏ご自身の後記にある通りである。雑誌『自然』の編集者であった私の、無理な願いを聞き入れて、連載いただいたものがこの本になったのだから、いま、そういう自分が科学史研究者に転じたとはいえ、解説めいたことを書くのも妙な気がする。

 連載当時の伊東氏は数えてみれば48歳の俊秀であった。「ウィスコンシン時代の伊東先生にラテン語を習った」というアメリカ人研究者に出会ったこともある。西欧の各国語はもちろん、ギリシア古典学を踏まえて、ラテン科学とアラビア科学を併せて考究できる世界でも数少ない研究者である。プリンストン時代を経て、科学思想史の分野で国際的な業績を上げ、比較文明論の大構想もすでに打ち出し、寸暇を惜しむかのように多方面に活躍されていた。

 とりわけ写本解読に立つ科学思想史研究は、氏の研究の本道で、厖大なノート類に記されてきた。厚みもあるし幅もある。超多忙の時間をやりくりして、纏めるものには勢いもあり質も違う、と編集者時代の私は思っていた。毎月の連載は、伊東氏にとって、かなり重い負担であったろうが、その成果としての本書は、伊東科学史学の奥行きと構成が見て取れる見事な金字塔になった、と思う。

 近代科学の「誕生」といったら、ガリレオ・ニュートンらによる研究方法の確立と、ロンドン王立協会やパリ科学アカデミー誕生という第一次制度化のあった、「17世紀科学革命」を指摘するのが普通であろう。しかし本書は、そういう近代科学の「誕生」ではなく、その「源流」の解明を目指している。

 すなわち、中世科学のうねりを生み出す四代潮流、古代ギリシア科学、中世ラテン科学、ビザンツ科学、アラビア科学、の四つの源流の解明に主力を注いで、それに三分の二を割き、残りで12世紀ルネッサンスの大翻訳運動を経て、西欧ラテン科学が興隆・発展して、本流のガリレオ科学に至るまでの流れを纏めている。

 それでいて説明は懇切かつ十分であり、氏が優れた教師でもあることをよく示している。たとえば、用語に不慣れな読者を意識して、各所において、定義や補足を与えているから、見出しに出てくる聞き慣れない用語でも、恐れず、丹念に読む辛抱強さがあれば、新たな知見を、多々本書からえられるだろう。

 氏の学問の周到な目配りを示す例はいろいろ見られる。

 たとえば、キリスト教教父の自然観の中で、スコラ哲学でよくいわれる言葉、「哲学は神学の奴婢である」に触れて、奴婢の原語「テラパイニス」は「手助けをしてくれるメイドさんといったほどの意味で、この場合、けっして哲学の貶称ではない」と断っている。また、新プラトニズムといったらプロティノスと答えるのが普通だが、それはローマ派のことであって、他にもヤンブリコスのシリア派、プルタルコスのアテナイ派があり、とくにアテナイ派が科学史的にも重要であると指摘している。そしてフィロポノス、シンプリキオスを詳述しているが、これなど、味読すべき問題である。

 「アラビア科学」も、「8世紀後半から15世紀にかけて、アラビア語によって文化活動をなした人々の科学」と定義した上で、そのアラビア科学が、「シリア・ヘレニズム」を媒介としてギリシア科学を保存・拡大するとする。シリア・ヘレニズムとは、「シリア語によって消化され表現され伝えられたギリシア文化一般」を指すと、これまた明快である。読者とすれば安心して読み進むことができよう。

 その上で、ネストリウス派や単性論者といった異端キリスト教分派たちが、正統派のいう神・人・霊の三位一体論を認めないために、東ローマ帝国を追われ、結果的に、ギリシアの学問をアラビア圏に伝える有力な媒介者になった、と指摘している。このことは、後の12世紀ルネサンスの項に見られる「モサラベ」(イスラム文化圏でイスラム教徒に仕えたキリスト教徒)も含めて、まさに20世紀科学においても、ユダヤ系その他の政治的亡命科学者が大戦後、アメリカ科学黄金時代の基礎を作ったのに通じる話で、文化の伝搬と担い手の分析例として、興味深いものがある。

 アラビア科学の開花として、数学・天文学・物理学、錬金術・医学を取り上げているが、とくにイスラム世界で、コペルニクス体系以前に反プトレマイオス論が深化していた事情を解明している。プトレマイオス体系では周転円・離心円など、「現象を救う」ためにさまざまな幾何学装置が導入されたが、イスラム科学者らはそれに満足せず、天球の実在化を意図し、自然学としての天文学を追究したためである、という指摘も見逃せない。

 本書では、近代科学に向かう新たな歴史的出発点として、「12世紀ルネサンス」が重視される。それは目覚めた知的精神の営為であって、あの「野蛮と狂信に奉仕しほとんど学ばなかった」十字軍運動の成果などでは断じてない、と珍しく語気を強めている。その上で、「初めて西ヨーロッパ的視圏を超え出て」アラビア・ギリシアの学術文献を翻訳・研究した数少ない知識人たちの努力を、わが幕末の先駆者たちの知的情熱に例えている。この知的所産の記述も、伊東氏自身の知的情熱に基づく詳細な写本の比較研究に立つものである。だからこそ、「これはスペイン語訛のアラビア語が入っているから、ペドロ・アルフォンソ[北東スペイン派聖職者]が係わっている」、などと指摘できるのだし、「サレルノ[イタリア]に居た同一人物が、ユークリッド[幾何学]などの原文をギリシア語からラテン訳した」、と推定できるのである。

 それだけに、12世紀ルネッサンスの大翻訳運動を担ったスペイン(カタロニアを中心とする「北東スペイン派」および「トレード派」)とイタリア(「シチリア派」およびヴェネティア・ピサを中心とする「北イタリア派」)の4派についての簡潔な記述は、きわめて説得力が高い。

 伊東氏にとって西欧ラテン科学は自家薬籠中の話題であるが、ここでも、中世運動論の形成にとって重要な根本概念「インペトゥス」や「モーメント」について詳細に記述するが、群を抜いた水準のものである、といえるだろう。

 近代科学の源流を、東西にわたって綴った比較科学思想の通史は、本書が最初であり、これを上回る書はまだ世界的にも現れていない。優れた個別研究書は出ているが、比較文明史の視野を持つ本書の意義は高い。ゆっくりと伊東科学史の世界を読み進めば、得るところはきわめて大きいはずである。

伊東俊太郎著『近代科学の源流』(中公文庫、2007年9月刊)の「解説」2007年9月
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