対象書名:野中正孝編著『東京外国語学校史』不二出版、2008年11月出版
掲載紙:『週刊読書人』2010年1月29日号

生涯を括った執念の一冊・追悼野中正孝氏

いま私は、1600頁を超える『東京外国語学校史』(不二出版、2008年)を前に溜息をついている。分厚い。1頁1000字。が、それ以上に、この編著 者・野中正孝さんが、宿痾と闘いながら過ごしたこの数年の、孤独な作業と思いの深さに打ちのめされるのだ。みずから全文打ち込みし、小見出しをつけ、全頁 割り付けで印刷直前までに仕上げた。千恵子夫人(同窓生)のお話では、ワープロ1台をつぶし2台目になった。野中さんは、生涯を括る執念の出版1年後、昨 秋11月に逝った。享年76歳。

私は同じ鎌倉に住み、勤め先の京橋界隈でも横須賀線でも、よく飲みよく語った同僚であった。駅近くのお宅で、退社後、10年以上前から、母校の同窓会史の 記念出版事業に取り組んでいた彼の口から、「発見談」を聞くのが楽しみだった。東京外語大100年史編纂を補完するものとして、17専攻語学科の同窓誌稿 や卒業生の寄稿を併せ編纂するのだが、原稿の集まりも悪く、精粗があり、戦前卒者の寄稿も少なかった。そこで提供データを手がかりに、全面的に取材・執筆 し直す歴史家兼編集者の作業に忙殺される一方、急性心疾患などで入退院を繰り返していた。

それでも楽しそうであった。とくに、欧風全盛に反発した中国通の川島浪速や宮島大八 (詠士) に入れ込んで、詠士書道展にも出かけた。本を見ると、清末の碩儒・張廉卿に私淑した詠士の中国留学 (計7年) に一一頁も割き、私が墓碑写真を進呈した長谷川辰之助 (二葉亭四迷) の記述、8頁分を上回る。後のドン・キホーテ翻訳者・長田寛定のスペイン文学史には、ナント21頁、巻末のシベリア抑留詩人・石原吉郎には8頁。このよう に知的好奇心を噴火するところが面白い。しかも手堅い。書中では卒業生や教師に名士が続出する。

おかげで、読売新聞初の名物パリ支局長、松尾邦之助の消息も知った。パリに来た大杉栄(在籍)に会おうとしたと松尾が書くが、身分を隠した大杉のことが新 聞に出るはずもない、と。富永太郎や中原中也のフランス語力には教師たちも警戒した。島田謹治の比較文学は外語大経験の所産かも。満蒙経営と蒙古語熱、卒 業生の就職と配置状況は生々しい。

野中さんは、不幸な中公紛争に耐えながら、仕事を自慢しない男だった。分厚い眼鏡をかけた淺黒い顔、切迫感を持って吐き出す声音、ときに激するが品格を 失わない物言い、並々でない職人気質。中公本作りの名手には高梨茂、宮脇俊三、井上太郎らがいるが、加えてこの男がいた。中公新書の立ち上げに参加し、世 界の名著や文学も手がけた。新書企画のほか、雑誌『自然』を母体とする「自然選書」立ち上げで野中さんに協力した。ロングセラー三木成夫の『胎児の世界』 (中公新書)は、私が三木さんを紹介して始まったのだが、その名物講義を芸大生に混じって聴講していた。知る人ぞ知る装丁家でもあり、フロイスの『日本 史』、マヤ神話『ポポル・ヴフ』初版、今西錦司記念論文集全3巻、などがそうである。
『東京外国語学校史』は、蕃書調所以来の明治・大正・昭和前期の語学教育史、外交史、学校史を知るのに必携、1500人に及ぶ巻末人名索引21頁は日本近 代史研究の宝になるだろう。というと野中さんは照れるかな。