対象書名:『ブラックホールを見つけた男』アーサー・I・ミラー著、阪本芳久訳、草思社、2,500円(税別)、2009年8月刊
掲載紙 :「東京中日新聞」文化欄書評
年:2009.08.23

真理をめぐる不屈の挑戦

一読後、ゼウスの怒りに触れたプロメテウスの難儀を思った。明晰な論と流麗な文で、天文学の帝神エディントンの著作に魅了されたものも多いはずだ。が、 近づきすぎた天才インド物理学者チャンドラセカール(略してチャンドラ)は、学界や記念講演会で執拗な攻撃と揶揄の雷火を受ける。これが前半、後半は神々 が消え、逞しくなった天才が本懐を遂げる。ブラックホール理論の命運もかけた、受難と栄光の科学史である。

宗主国イギリスに渡った天才インド少年といえば、18歳のガンジーを思い出した。19歳のチャンドラも、発表論文5本とインド学界の期待を担って順風満 帆の船旅である。1930年夏。が、行き先はミルン、ジーンズら巨人たちも加わる戦場だった。競う主題は謎の天体、白色矮星である。

シリウスAは夜空で一番明るい星だが、軌道のふらつきから、伴星シリウスBが見つかる。地球ほどの大きさに太陽の質量が詰まった星。角砂糖1個分が大人 分の体重(最新値は1トンに)もある。しかも冷たく暗い。巨星が重力でつぶれ、やがて内部放射圧と微妙に釣り合っている最後の星の姿、とされた。かくて白 色矮星は、理論家たちの仮説とモデルと計算の草刈り場となった。

チャンドラは、海風に吹かれながら、53年後ノーベル賞を共同受賞するファウラーの論文を読んでいた。そして思いつく。星の中心部が電子ガスなら、不確 定性原理と相対論効果で電子群は光速度近くで動き回る。圧力と密度を計算した。白色矮星に限界質量があり、太陽質量程度(のちチャンドラセカ-ル限界とよ ぶ)となった。では、これに土ぼこりをまぶしたら、つまり、限界値より大きな質量で終末を迎えた白色矮星はどうなるか、と。収縮の歯止めは利かず、縮まっ て点になる!

ケンブリッジに落ち着いて2ヶ月で白色矮星論文2本仕上げた。これが序章。頑固な自信家たちに、さすがはインド人、不屈な挑戦をあきらめない。愛も不信 も、裏切りも友情も、差別も理不尽さもたっぷりある。あとは読んでのお楽しみだ。