対象書名:『万物の尺度を求めて』ケン・オーダー著 吉田三千世訳、早川書房、2800円+税
掲載紙:日経新聞
年:2006.4.23

 「人間が万物の尺度である」と唱えたのは ギリシアのプロタゴラスだが、王政時代のフランスには八百種もの長さ・重さの単位があった。こういう度量衡のバベルの塔を破壊して、「一王、一法、一尺 度」の夢を実現するには、地球を万物の尺度にするのがよい。地球の子午線の長さの一千万分の一を一メートルにする、というメートル法制定問題は、ルイ16 世治下で起こり、ナポレオン体制下で完結した。今日のグローバリゼーションと同じく、コンドルセら過激な合理主義者たちの主張の成果だった。それには精確 に、地球の子午線(両極を結ぶ地球面の最短線。経度線と一致)の長さ(実際にはその四分の一)を決定する必要があった。本書は、世紀の科学的事業を活写し た人間味溢れた記録である。

1792年、フランス革命下のパリを、子午線に沿って、北はダンケルケ、南はバルセロナに向けて出発した二人の科学者がいた。暴動に巻き込まれたり落雷 に撃たれたり、艱難辛苦するのは同じでも、性格のまったく違う自信家のドゥランブルと懐疑的なメシェンである。それにしても南行のメシェンがバラバラの紙 の束に鉛筆で記録し、矛盾するデータは捨て、隠し、改ざんしていたとは。凍てつくクリスマスと新年も関係なく、スペインで三ヶ月間に六つの星を1050回 も測定し続けたというのに、測定器の精度への不審がノイローゼにさせたという。北行のドゥランブルは、現地で熱病に冒されて死んだメシェンの、業務日誌に もなっていない記録から本来の測定値を再現する難題に、同僚のデータ改ざんには完黙して、五年間も奮闘した。メシェンは測定値をいじって腕がよいように見 せかけたが、平均値は変わらないようにしたから、大きくずれない結果になった。

メートル法制定の大事業史を活写した本書を読みながら、二人を追うように八年後、ユーラシア大陸の反対側の日本で、子午線の長さ決定や日本全土の測量を 始めた伊能忠敬の人生を考えていた。18世紀末の科学と天文学の盛り上がりが、洋の東西で地球を計る大事業に英才たちを駆り立てたのである。