初めにクイズ。「子子の子、子子子」はなんと読みますか。
十二支の、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥が動物を表すといっても、じつは巳が蛇の象形文字になっているだけで、子を鼠、丑を牛などと読むのは十二支の場合だけ。もともと初めの六字は季節に従って植物が芽を出し花をつける陽の状態、後の六字は実をつけて枯れるまでの陰の状態を指す漢字でした。農耕民族から騎馬民族のシルクロードに入って、身近の実在・空想動物に結びつき、それが仏教や道教と結びついてわが国にも入ってきたらしい。大変な空想力です。
十二支の起こりは、太陽系の惑星で最大の木星運行に関係します。木星などの惑星は、太陽や月と逆に西から東に(反時計回りに)運行し、とりわけ木星は十二年かけて天を一周します。そこで古代中国人は、この木星の運行を映して東から西に運行する想像上の「大歳星」を考え、その一年の居所に十二支を割りふりました。大歳が「寅」にいれば寅(虎)年で、その時木星は「申」(猿)の方向にいます。十二支は方向にも使って、北を子(鼠)、東を卯(兎)、南を午(馬)、西を酉(鶏)の方向とします。兎年の漱石は卓上の銅印に兎印と鳳凰印の二つを愛用しました。兎(卯)の大歳と東西をなす対が鶏(酉)の木星で、漱石は縁起をかついで鶏を鳳凰に変えたのです。そういえば、大阪天満宮の山門屋根裏に大きな十二支盤がかかっていますが、鶏が朝鳴きして恋人が帰ってしまいませんようにとの願いから、こちらも鶏を鳳凰に代えています。
十二支は年だけではありません。一日を二時間ずつ区切って時間にも用いました。草木も眠る「丑三つ刻」は午前二時。お昼の午の刻は午前十一時から午後一時まで。いまでも午前、正午、午後というでしょう。クイズの答は「ネコノコ、コネコ(猫の子、子猫)」。