錆に覆われた奇怪な青銅機械、何十もの歯車がある。エーゲ海南東部ドデカネス諸島の岩だらけの島アンティキテラ島で、海綿獲りのダイバーたちが、海面下 60メートルの海底から古代ギリシアの貴重な彫像や壺の奥で見つけたものだ。1901年のことである。
それから半世紀後、新米科学記者の私は、その謎を解いたという英科学史家プライスの衝撃論文を夢中で読んでいた。天文機械時計が古代ギリシアにあった、な んて。本書はこの謎解き冒険史である。やがて来日したプライスは科学情報爆発のプライス曲線で有名になっていたが、本書から、彼の役は重要だが中締めに過 ぎず、その後あっさりと、CT断層写真技術を駆使した野心的映像作家グループに、栄誉を奪われていったことを知った。
私にとっても、本書は半世紀目の衝撃である。アテネのパルテノン神殿を仰ぐアゴラ遺跡を歩き、国立考古学博物館で、ガラスに納まった20cm足らずの十 字の円環と歯車の主要破片を見たが、あと五つの小さな断片から組み立てるパズル解きで、「プライスは半分もわかっていなかった」のである。X線時代を超え るCT像解析で、いまや五重螺旋文字盤等から古地名、オリンピアなど四つの古代競技大会名、方向名など2000字が解読され、なお続行中なのである。
天文観測器アストロラーベでは、という説は、用途不明な多数の歯車の存在(最終30個にも)を説明できず、まず消える。では、太陽・月・惑星の運行を知る 天文時計なのか? 14世紀の有名天文時計は大小107個の歯車がつく。謎の機械は放射線年代測定法で紀元前1世紀、ロードス島の略奪品とともに沈没した らしい。それにしても古代ギリシアのそれとは1000年以上の空白がある。一体なぜか?
プライスは差動歯車を考案して、太陽と月の運行を知る暦機械にしたと考えた。しかし彼が突然亡くなる数週間前になって、古代ギリシア以降、2個目の古い天 文時計の断片が、内戦のレバノンで見つかりロンドンに持ち込まれる。空白をつなぐビザンチン時代の、ミッシング・リンク発見であった。裏切り、出し抜き、 宣伝その他、争いの中でパズル解きが一挙に進むさまは、スリリングで飽きさせない。
原題は「昇る赤い月、スプートニクと宇宙時代に点火したライヴァルたち」。人間くさく政治的で面白い。V二号開発とヒトラーの遺産分捕り合戦を導入にし て、米ソ両陣営の冷戦下でなぜ人類初の人工衛星が生まれたか、内外政治家の駆け引きと、だまし合う技術陣の裏幕をスリリングに描き出している。
全11章、序と結、文献をあわせ450頁を超す訳書を手にして、私には感慨深いものがあった。1957年10月4日打ち上げのスプートニクは、「ピー ポ、ピーポ」の通信音とともに、ソ連科学礼讃の幕開けになった。私のジャーナリズム生活もここからスタートし、12年後のアポロ一一号月着陸ニュースを、 記者としてヒューストンから報じた。
読み進んでいこう。
ソ連側の主役は、ライヴァルのグルーシュコを蹴落として、スプートニク打ち上げロケット「R7」の設計責任者になるセルゲイ・コロリョフ。元流刑囚。当 時こんな存在はまったく知られていない。最高機密で、西陣営の情報網も、ソ連のダミー科学者セドフの言動に目をくらまされていた。これも、死後三年目のス ターリン批判で権力を手にした、ハッタリ政治家フルシチョフの演出であった。
一方、追いかける側の米国は、一番手の米海軍のヴァンガード衛星が失敗につぐ失敗。この窮地を救ったのは、元ナチス親衛隊(SS)少佐(死後七年、一九 八四年までの機密事項)ながら戦犯容疑を特赦され、長く米陸軍監督下にいた、ヒトラーのV二号開発責任者、フォン・ブラウン。その協力で中距離弾道ミサイ ル改造型の「ジュピターC」で、翌年1月31日、米陸軍がエクスプローラー衛星を打ち上げる。スプートニクの四カ月後。 その間にもソ連は二号目でライカ 犬を宇宙に上げ、アメリカ人は一様に生命の危険を感じ、生活態度の反省を迫られた。人気凋落の元将軍大統領アイゼンハワーを踏み台にして、救世主ブラウン はディズニー番組などでお茶の間人気を集め、やがてアポロの栄光を勝ち取る巨大ロケット「サタンⅤ」も開発する。これは終わり二章に詳しい。
問題は、どうしてスプートニクなのか、である。コロリョフはしたたかな男だ。単なる「R7」テスト飛行を、大陸間弾道弾ICBMに成功、とフルシチョフ に発表させ、西側諸国を震駭させる。「R7」にはそんな力はない。重さ5トンの水爆弾頭を5つのブースターで8000キロ彼方に秒速七・二キロでぶちこ む、までは正しい。しかしICBMには、正確な誘導装置と大気圏再突入時に核弾頭を高熱から護る熱シールド技術が必要だが、これにはお手上げだった。宇宙 に打ち上げっぱなしの人工衛星なら馬力さえあればできる。初の衛星で米国を打ち負かせる。コロリョフは政府と軍首脳部を説得したのだ。
ソ連が原爆、水爆と開発に成功しても、米国はまだ、「それを詰めたトランクは米国製かね」、と茶化す余裕はあった。ダレスとルメイによる戦略爆撃機網の 重圧と、超高空からの米スパイ偵察機U2に、ソ連の威信は傷ついていた。幻想のICBMでなく、夜空に輝くわずか直径58センチのスプートニクが資本主義 の牙城に大穴を空けることになる。スプートニクは、激しい宇宙開発競争時代の幕開けとなり、軍事情報の必要性から、今日のインターネット社会を現出させて きた。本書は、この大事件の顛末を、ロシア側の資料から証言する貴重な記録である。
手堅い科学史家の説明を追っていくと、思いがけない図像との出会いがある。進化論で有名なフィンチ類のくちばし図と、道具のペンチ類の比較図が愉快であ る。世界最初の請負技師スミートンが造った石造灯台の、パズルもどきの断面図に頭を悩ましもする。コッホ細菌学も、なるほど顕微鏡写真術の成果であったか と相づちも打つ。時計の脱進機がエジソンの蓄音器や映写機につながる話もある。銅版画のエッチング法が金属表面の金相学に貢献し、雲分類学が英国のコンス タブルの風景画を裏打ちすることを知らせてくれる。芸術と科学の興味深いつながりである。
終章で橋本氏は、「科学技術の活動における図像の役割」を概括している。視覚的思考ともいえるイメージの重要性である。図面や三次元モデルから解剖図・ 植物図譜まで、これらがなかったら科学技術もうまく伝わらず、進化論(ダーウィン記録にある有名な枝分かれ図を評者は思い出す)も電磁気学も、デカルト哲 学さえも生まれなかったかもしれない。レオナルドが後年数々の技術的発明をするのも、若いときフィレンツェの大聖堂の建築現場で目撃した巨大クレーンの姿 が焼きついていた、という。著者のいう表象と実践の関係である。
ここまでくると、もっと東洋、なかんずく日本においてこういう図譜等の役割はいかに、と聞いてみたくなる。これについては著者は、科学と芸術の関係同様 に、今後の課題としている。本書のていねいな文献解題を手引きに、ここは一つ読者自身が探検しても面白いはずである。
本書原題は「ジ・インポッシブル不可能なるもの、の物理学」。著者は不可能レヴェルを、物理法則違反ではない1、辺縁に引っかかる2、とてもダメな3に わけ、2の時間旅行(空間を切り裂く通路ワームホールを潜れば超光速も可能だが、ワームホールの物理学は未完なので2)以外の多くは1だと、SFファンを 喜ばせる。3には永久機関と予知力が入る。
たとえばテレポーテーション。光や原子の集合体の転送技術にはすでに成功、複雑な分子でも数十年で可能になってきた。ウイルス、細胞レベルなら今世紀中 に実現するから1だ。しかし残念、人間丸ごと、という夢の転送は2の世界という。
なるほど現代宇宙論には、自分と同じ他人が住む並行宇宙や反宇宙、たえず生成消滅するベビー宇宙やミニミニ宇宙、宇宙意識という神学などが横行してい る。検証可能という縛りが消えれば、科学とSFとの境界はグレイゾーンである。このもやを切り裂く知的な旅をどうぞ、というわけだ。
本書で日本人の活躍も目につく。飯島澄男のカーボン・ナノチューブが宇宙エレベーター構想を生み、川上真樹の光学迷彩マントが不可視化の夢に迫る。鈴木 真彦も生みの親である「超ひも理論」がアインシュタインの夢、万力を統一する万物理論に王手をかける。いま動き始めた欧州の大型ハドロン加速器(LHC) が、その検証に成功するかもしれないのである。
福本和夫といったら、同じ藤沢に住むよき理解者、いいだもも流にいえば、大正12年の有島武郎、昭和2年の芥川龍之介という二人の死を挟む時期に光芒を 放った、「福本イズム」の提唱者であった。日本的マルクス主義体制である山川(均)イズムを批判して、無産者階級の純化を唱え、日本共産党の再建を図った のだが、いわゆる「二七年テーゼ」によるモスクワからの指示で失脚する。その後の福本の活動を知るものは少ない。が、じつはみごとな日本文化史家に転向し ていたのである。
このいきさつを私もこの著作集で初めて知ったのだが、戦争中14年間の獄中生活で書き上げ、戦後間もない一九四七年の序文をつけた草稿が、35年後福本 氏88歳のときに刊行された。それが本巻に収まる「カラクリ技術史話」である。この中身がすばらしい。
まず、道家思想の列子を手がかりに、中国最古の木偶師いまでいうロボット師の二人の存在、偃師と魯般を指摘し、高名な細川半蔵の『機巧図彙』より半世紀 も前に、わが国最初のカラクリ製作過程を図解記述した多賀谷環中仙の『?訓蒙鏡草』を取り上げて、その翻刻読解を付すことで、歴史に位置づけている。りっ ぱな技術史的貢献である。また、ゼンマイ時計からゼンマイカラクリが生まれる詳細も明らかにして、注目に値する。
福本氏はカラクリ技術「復興」史と呼んでいるが、それはわが日本にも、遅ればせながら、ルネッサンス(人間と自然を再発見する文芸復興期)も啓蒙期(福 沢諭吉・西周・中村正直らが輩出する幕末から明治10年代頃まで)もあったとする福本史観にもとづく。とくに徳川江戸期に、マニュファクチュア(機械制工 業に先立つ手工業的分業を伴う協同生産体制)の発展と商人階級の台頭によって、日本ルネッサンス文化が、寛文初年(1661)から嘉永三年(1850)の 190年間にかけて生まれた、とする福本史観は、大著『日本ルネッサンス史論』(1957年刊、著作集第九巻に収載予定)に詳しい。これなどは『資本論』 以前のアダム・スミスの『富国論』の日本版であるとさえいえる。
とくにその工業化の側面は、本巻収載の「日本工業の黎明期」(工業系の新聞に連載、1962年刊)と「日本工業先覚者史話」(同、1981年)にある。 ここでは鉱山業・製銅・製鉄に始まり、塩田や酒造、ガラス製造、鋳物業、織物業、製紙、製茶、陶磁器業などのマニュファクチュアを人物と合わせて点検して いる。その間に「日本永代蔵」などの井原西鶴物を見直して、稲扱き機の製造過程に言及したり、安田財閥が釘の製造から始まる話など、興味は尽きない。
さらに感嘆するのは、本巻掉尾を飾る鯨組マニュファクチュアの調査報告書「日本捕鯨史話」(1960年刊、1978年再販)である。柳田民俗学の手法を 駆使したケーススタディであった。わが国の捕鯨業は、幕府の鎖国政策・大船製造禁止その他の制約の中で、突取法・網取法・銃砲打ちなどと捕鯨法が変遷する が、沿岸捕鯨と鯨体陸上処理に終始した。しかしその厖大は作業内容は製銅・製鉄に匹敵する大規模な手工業分業工場制を生んだと証言する。「日本捕鯨史話」 は、文献処理も手堅く、図版も豊富で、跋文を寄せた渋沢栄一氏もいうように、「人が躍動している」。福本氏の代表作といってよいだろう。
福本史観は、直線的な唯物論的発展段階説に立つとか、江戸期初期に至る南蛮学の時期が無視されているとか、また、西欧における17世紀科学革命期の意義 をつかめなかったとか、いろいろ問題点はあるだろう。しかし、田口卯吉の影響を受けた一橋系の経済学者、福田徳三を高く評価するなど、西鶴・列子再評価と ともに独学のよい個性があって魅力である。江戸文化再認識の先鋒として、また東西の総合比較研究に立ち、経済史技術史の枠を超えて問題提起したという意味 で、今後評価されていくことだろう。
旅先で全16章を一気に読む。 時は16世紀ルネッサンス期、専門家のみその名を知るゲオルグ・ヨアヒム・レティクス、コペルニクス晩年の唯一の弟子で師の大業を推進した影の数学者で ある。初の本格評伝。地味そうだが、取り巻く人物に宗教改革のルター、その補佐官メランヒトン、医学革新のパラケルスス、哲学革命のラムス、博物学のゲス ナーと揃い、波瀾万丈な人生60年。原資料を読み解いての人物活写が読ませる。
1543年といえば、国土回復運動でイベリア半島からイスラム勢力が一掃され、わが国に鉄砲が伝来した年だが、コペルニクスの『天球の回転について』 (回転論)刊行で、天動説から地動説へと、宇宙観が変革した年でもある。
師と2年4ヶ月の至福の時を過ごし、刊行を準備したレティクスはこの時ライプチヒ大学にいて二八歳、遠くバルト海近くのワーミアで死の床にある70歳の 師父コペルニクスとともに、本を手にした喜びが怒りに変わる。後事を託したニュルンベルクの編集人、オジアンダーの無署名巻頭言「読者へ」が、太陽中心仮 説は有用だが想像による仮構物、と言い訳していたからである。レティクスはその頁に赤で大きく×をした。
コペルニクスはマルチなルネッサンス人であった。教会参事会員、プロシア全土の名士がかかる名医。貨幣論も書き、「悪貨は良貨を駆逐する」をグレシャム 以前に体系化した。主著『回転論』刊行30年前に、回覧原稿『小論』で太陽中心説の公理を主張していた。 レティクスはルター派の温床、母校のヴィッテン ベルク大学でこれを読んで感激、1540年に『第一考察』を出し、コペルニクス主義伝道の闘士に変貌する。この初版本は、近年、150万ドルの高値で米図 書館が購入した。もう一人の師父である人文学者メランヒトンの導きで、レティクスは各地を遍歴、当代知識人に数学者として認知される。主著『三角形につい て』で三角法の開祖者になり、パラケルスス流医化薬も研究した。コペルニクス死後は、ライプチヒ教養学部長になるも、同性愛や詐欺の醜聞や訴訟で失脚す る。
科学革命を演出した人生の、華やかで哀れな結末である。
20世紀の工業技術を考える場合、ドイツとアメリカが双璧になるであろう。どちらもイギリスの産業革命を先駆的モデルとして独自な技術立国を果たしたの だが、本書はドイツに絞って、その成立期に当たる19世紀ドイツ工業史を技術側面から読み解いている。全体は「模倣と自立」「転回点」「科学大国への道」 の三部からなる。原典資料を現地で渉猟して書き上げただけに、労をいとわず読み進む価値のある快作である。
初期プロイセン産業のリーダー役となる若き官僚ボイトのことを、本書で知った。
ボイトは、「建築様式や住民の先見の明」のある工業都市グラスゴーに着目し、調査論文を書く。グラスゴーといえばマッキントッシュやワットのいた町であ り、いまでもその大学正門正面には、総長だったアダム・スミスの名と並んでワットの金文字が飾られている。ボイトは、その、イギリス産業の心臓部である機 械制工場を導入する、という大目標を達成するために、工業学校(後のベルリン工科大学)と産業創設協会を一八二一年に創設する。最良の機械を首尾よく入 手・分解して、正確な銅板図面と模型を造り、その解読と利点を展開する技術者と工業経営者群を養成しよう、というのである。同時に数多くの懸賞問題を課す ことによって、ドイツ工業技術の自立を促した業績も大きい。ドイツでは、まず工業経営者の組織化が「科学の組織化」に先行した、のである。
本書で詳細な表に纏められた懸賞問題集を見ると、紡織関係から試験研究、機械設計へと広がっていくさまが伺われる。こうして一八七一年のドイツ国家統一 を契機に、ドイツ工業界は、従来の導入主体から脱皮・転回して、国際競争に耐える品質問題へと目覚める。試験機関を整備し、世界最初の審査公告主義と「先 願主義」という近代的特許制度は、1877年、「世界の工場」になりつつあるドイツ帝国において成立した。先願主義形成の土壌に、ドイツ特有な「コモン ズ」(社会的共有知)の精神がある、との指摘は面白い。
こうして「科学大国への通」を突き進む。ここで宮下氏は、「科学大国」が今日のビッグ・サイエンスとしての「国家科学」と同義ではないと断っている。あ くまでも旧来の協会などの「自治」から「国家的援助」「国家的事業」への変化に「科学大国」の出発点を置くと説明している。その典型として、アッベ、 ショットとガラス技術研究所、顕微鏡・望遠鏡などのガラス器具と素材の開発を取り上げ、「科学大国」への動きを解析している。
そういえば、世紀末から20世紀初頭の明治30年代の日本においても、イエナのガラス工場は「世界一の模範工場」として注目されてきた。アッベ教授を長 とするカルル・ツァイス組合が大家族制に近く、1900年の時点で一日八時間短縮労働を実施し、社会的慈善活動にも尽力していたからである。先進国で初の ドイツ博覧会が東京で開かれたのは、もう四半世紀前の一九八四年であった。その直前、私は西ドイツ政府招待で企業・工場などを視察したが、なかでもショッ トやツァイスの工場管理は印象深かった。本書ではあまり言及されていないマイスター制が工場に取り込まれ、マイスター資格者数を誇る風のあることに感心し た覚えもある。ちょうどこの頃、宮下氏は東ドイツに入って、ポツダムで帝国物理技術研究所の資料調査にあたっていたようだ。
本書には貴重な資料が累積しており、19世紀技術史への手堅い貢献になっている。
マイスター制の検討も今後の課題になるだろう。
ドイツ商工会議所で懇談したが、このときでもメッセ、見本市会社は五つあり150年の歴史を刻んだドイツ商工会議所で、全企業の加入が義務つけられ、国内 外に百余の支部を持ち、国家と経済界を仲介する姿を説明受けた。
その吉永さんが、釈迦十大弟子の風貌を50号ほどの鉛筆画作品にまとめた。それぞれに1,2ページの短文をつけ、十大弟子の特徴を浮かび上がらせている。 じつはこの本を送っていただいたのが年末で、新年早々、私は2度目のインド旅行に出かけるつもりで、今回は仏蹟巡りを予定にしていた。この準備もあった から、さっそく、ありがたく読ませていただいたのである。ブッダの十大弟子は『法華経』や『維摩経』でおなじみだが、面授口訣の直接の高弟たちである。吉 永さんも参照されたらしいが、興福寺の十大弟子像は有名だし、棟方志功の版画作品もある。吉永さんがこういった仏教史上著名な弟子たちをどう描くのか、関 心をそそられたのはいうまでもない。
十大弟子には、バラモン(僧侶階級)出が4人いた。智慧第一の舎利仏(サーリブッタ)と親友で神通第一の目?連(マウドガルヤーヤナ)、頭陀第一の摩詞 迦葉(マハーカーシャパ)の3人はマガダ国の王舎城近村出身、もう一人がアヴァンティ国出で論議第一の迦旃延(カーティヤーヤナ)。クシャトリア(貴族騎 士階級)出(釈迦もそうだが)は4人で、コーサラ国舎衛城生まれで解空第一の須菩提(スプーティ)、ブッダの従弟で天眼第一の阿那律(アニルッダ)、多聞 第一の阿難陀(アーナンダ)とブッダの長男で密行第一の羅?羅(ラーフラ)の3人が釈迦族カピラ城出。ヴァイシャ(工商階級)はインド西部の貿易商人で説 法第一の富楼那(プールナマイトラーヤニープトラ)、最後にシュードラ(隷民)出のカピラ城宮廷付き理髪師で、持律第一の優波離(ウパーリ)。 仏教は脱 バラモン教で、カーストの階級制度を否定したのだから、こういう私の整理はよけいなことである。十大弟子といえば、私にとって大好きな経典『維摩経』がす ぐに出てくる。なにしろ、ブッダと同時代人で口うるさい維摩居士(在家の信者)の病気見舞いを、ブッダの命にもかかわらず、十大弟子がみな「その任に堪え ず」として拝辞し、ついに文殊菩薩が代表して維摩と問答をするのが『維摩経』なのだが、尻尾を巻く十大弟子の人間味が愉快なのである。
『法華経』ではどういうわけか、十大弟子のうち、盲目の阿那律と優波離は出てこないが、その他は年功序列の顔見せになっている。今回の旅で、私はその話 の舞台、ラージギルの霊鷲山に立ってきた。ブッダ没後、初めての仏典編集会議(第1次結集)に危うく、阿難陀はまだ修行が足らず、として拒否されそうにな る。しかし洞窟にこもって座禅を続け開眼、兄弟子たちに受け入れられるのだが、その阿難陀窟も拝みもした。25年間ブッダの身辺に仕えた最若年の阿難陀 は、イエスのヨハネ的存在で、お経に付き物の「如是我聞」の語り部でもある。
吉永さんのスケッチ像は、どれも、ご自身の境涯を重ねて長老の風格があるが、ブッダの説教中居眠りしたのを恥じて、以降眠らず、目を開いたまま失明する 阿那律の、迫真の眼がとくによいと思った。智慧者らしい舎利仏の鼻と口元、最下層の優波離の満ち足りた顔もよい。私がこだわるのは阿難陀像だが、長老風に 描いていてこれはこれでよいけれど、いずれ青年像でも見せてほしい、と勝手にお願いしておきたい。
本書は30頁ほどの瀟洒な冊子である。説明文は簡潔に入っているが、「テーラガーター」の岩波文庫本、中村元訳『仏弟子の告白』などもあわせれば、本書 のいずれも顔貌の一部を大写しにしたスケッチが、さまざまに見る人たちに、語りかけてくれるだろう。
グリニッジといったら世界標準時で知られる。ロンドン郊外のテームズ河畔にその名の天文台がある。本書はここを舞台にして、地球上の時間の始まりがどう 決められたかを、手堅くエピソードも入れて物語っていく。著者は国立海事博物館にも勤めた元海軍技術将校。目印もない外海に出て、正確に緯度経度を知る重 要性は骨身に徹しているだろう。
1884年ワシントンで開かれた第一回国際子午線会議で、すべての国家に共通するものとして、グリニッジ天文台に設置された子午儀の中心を通る子午線を 経度ゼロの原初子午線として定め、そこの午前0時をもって全世界の始まりとされた。、産業革命の進展で、鉄道の全盛期であったことに注目すべきである。天 文学者や船乗りたちを除けば、19世紀までは、地球上の住民の大方は、各地でてんでに太陽と月の出没にあわせて生活すればよかった。地球上のどこが時空の 基準でどこから時間と距離を測るかなどということとは、およそ無関係だったのだが、いまや地球は一つになり始めたのである。
本書の前半は、揺れる船の上でも狂わない、精密な時計作りの話である。なぜ正確な時間が必経度決定に要かと言えば、地球は一日24時間で一回自転するか ら、一時間に経度で15度ずつ移動する。つまりAB二地点の時差が正確にわかれば経度差が求まる。時差八時間なら経度差120度と。ホイヘンスの振り子時 計も役立たず、結局ハリソンの洋上ゼンマイ時計が凱歌を上げる。後半が本書の白眉で、郵便制度と鉄道の普及が標準時間の必要を生み出したことを綴ってい る。最大経度差が三時間半になるアメリカを始め各国でその必要が痛感された。 パリかロンドンか、原点を定める熾烈な議論が続いたが、当時、世界貿易の72パーセントの船が使用していたグリニッジが選ばれる。現代までの標準時制定の 歴史がよく纏まっていて、有益である。
その章題の一つ、「哲学者たり、理学者たり」が書名になっている。これは剣豪にして詩人哲学者・物理学者、というよりは、大きな鼻で悲運に泣くシラノ・ ド・ベルジュラックが自分の墓銘碑を読むくだりにある。この章だけがもう一人、シラノの先生でもある、走行中の船の帆柱から物体を落下させる実証実験をし たガサンディー(普通はガッサンディだが、太田さんはほかにも幾人か独自読みをつけている)と二人取り上げているが、あとは各章一人ずつである。
「海外出張のたびに、物理学者の生家や墓を訪ねる習慣がついてしまった」とあるが、本書はその成果だから、喜ぶべきことである。つね日頃、科学史研究の現 場主義を唱えてきた私には、それこそ大事なことだと思う。原著や論文を読むのは当然だが、まず関係史跡を歩いてみることである。思わぬ発見に出会うもの だ。
太田さんも、真夏の墓地で物質波のド・ブロイの墓を探しあぐねたら、墓地番号が母方ダルマイェ家のものだったため見過ごしたなど、探した人には共感でき る話である。「キュリー」の章でも、ピエール・キュリーの生まれたアパルトマンを探しつつ、近くに博物学者キュヴィエの家が残っていて、その同じ家でベク レール(慣用はベクレル)がウランの放射能を発見したことを、そこの銘板で気づき、ピエールの祖父もキュヴィエも同郷であったと告げている。こういう事実 が「トリビア」つまり些細なことだと思う人は、気の毒だが、歴史センスがないのである。歴史の世界を泳ぎ回って、たとえばこういうaha!体験を積み重ね ることで、歴史のセンスが磨かれるものと思う。
太田さんのおかげで、本書からいろいろ学んだ。往復五時間も歩いて、その家をロレーヌ地方の町はずれに探した、天才数学者ヴォルフガング・デーブリーン (デーブリンでよいのでは)は、第二次大戦の前線で自決したが、直前に封印文書を科学アカデミーに送っていた。それが2000年に開封され、ジグザグ運動 するブラウン運動の微積分学を確立したわが伊藤清氏の仕事を先取りするものであった、という。昨年、伊藤氏は第一回ガウス章を受賞されている(本書では触 れていない)だけに、驚きであった。
また、熱量計を考案して熱力学に貢献したトンプソンは、米国最初の技師といわれるボールドウィンと幼なじみだが、王党派だったためヨーロッパに逃れ、ラ ンフォード伯になった。伯爵になったそのわけは、神聖ローマ帝国バイエルン選帝侯マキシミリアン一世(自身科学者でフラウエンホーファーを庇護する話もあ る)の寵臣となっためとか。
残念ながら、本書には索引も参照文献もない。あったほうが読者には便利であろう。エスプリを利かせた文章だが、句読点が少ない気もする。実験室に籠もり がちの科学者や卵たちには、本書の一読を勧めたい。頭を柔らかくし、得るところは大きいはずである。
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